今日から12月

今日から12月ですねニコ
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朝は小雨が降っていましたが、横浜公園の紅葉は赤、黄、緑のコントラストが綺麗で、私の他にも写真を撮っている方がいましたカメラ

今日のクリニックはバタバタでして……
ご来院下さいました方は、お待たせしたり、色々ご無理を申しまして、
誠に申し訳ありませんでしたぐすん
予約がいっぱいのところに、ネットがつながらないというトラブルがあり、一時カードが使用できず、診療以外でもテンテコマイでしたおーっ!
ブログも、以前使用していたデザインが11月で廃止になってしまい、デザインを変更になりましたアセアセ
さて、今日は全く美容とは関係のないお話しねー
私はPTAの役員などをしていないので、
普段は小学校の先生との接点は個人面談と欠席の電話連絡くらいです℡*
けれども、今回の担任の先生は、時折エッセイのようなお手紙を下さって・・・ニコ
文章がとてもお上手で、普段はクスっと笑ってしまうオチがあるものが多いのですが、
昨日の朝はお手紙で、少しウルウルしてしまいました。
よろしかったら共感して下さいぐすん(今朝、転載の許可を得たのでOK)

1127 日 祖父の左手 ※この前話した話を、ちゃんと文章に起こしてみました。

 

僕が知っている祖父は、初めから左手がなかった。けれども、祖父の所作はいつでもごく自然で、日常生活の中でも困っている様子は一つもなかった。祖母を早くに亡くし、不自由な体での一人暮らしが長かったからかも知れない。

 

幼い頃、僕は祖父のことをあまり好きでなかった、キャッチボールでは、しょっちゅうボールを落とすし、プールでは好奇の目にさらされる。心ない言葉をぶつけられることもあった。けれど、祖父はそんなことは全く意に介さない様子だった。『おーい』と、ない左腕を振ってみせたりもする。そんな風に、左手を失った左腕を隠さない祖父を、僕はどこか恥ずかしく思っていたのだった。

そんな祖父が一人暮らしをしているアパートに、転がりこんだ事がある。高校生の時だ。親から離れたい。ただそれだけの我がままな理由で家出した僕を、祖父は快く受け入れてくれたのである。

やっかいになっていた間、僕には家事をした記憶がほとんどない。気が向いた時に皿洗いをしたくらいだ。どんな思いで、不自由な体で洗濯や料理をしてくれていたのだろうと考えるにつけ、愛情を感じずにはいられなのである。

祖父と暮らし始めた8月のある熱帯夜、僕らは寝付けずに居間で本を読んでいた。祖父は、少しお酒を飲んでいたと思う。そんなとき、ふいにポツリポツリと左手を失った時のことを話してくれたのだった。戦争の悲惨。悲劇。体の一部を失った痛み、絶望。祖父の左手は、最初からなかったわけではなかった。

そして、戦地からの帰還。仲間も、左手も失い、生きる希望をも失って家にたどり着いたとき、祖母が言ったのだという。

『確かに、あなたは多くの仲間と左手を失った。けれど、幸せになるためのものは何も失っていない。生きるための時間はまだまだあり、二人の子供がいて、私がいる。』

どうしようもない孫だった僕を、優しく受け入れ、愛してくれていた理由が、少しわかった気がしたのだった。

 

その後、老いた祖父と同居することになった。少し小さくなった祖父の手伝いを進んでやるようになったのは、きっとあの夜があったからだ。以前は恥ずかしかった左手を失っている祖父を、いつの間にか誇らしいと思えるようになっていた。失った祖父の左手を見るたびに、僕は勇気づけられる。

幸せになるためのものは、何も失っていないじゃないか。

辛いことがあった日の夜は、そう思うようにしている。

素敵なお話ですキラキラ
私もこんな文章が書けるようになりたいショックと思いました。
ブログを書くようになって、患者さんから
『先生、いつも読んでますよラブラブ』とおっしゃって頂くのはとても嬉しく、
『書いていてよかったほっこりこれからも頑張ろう!』とは思うのですが、
実際書くとなると、日々自分の語彙力のなさに悶絶しておりますぼけー
今年もあと31日富士山
30回は書きたいと思いますグー
以上、篠田でしたおすましペガサス

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