院内絵画の紹介 三岸節子作『花』

今日は男性待合にあるこちらの絵画の紹介キラキラ

 

三岸節子作『花』

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三岸節子は、愛知県中島郡(現・一宮市)の尾張物工場を営む家庭に生まれました赤ちゃん

しかし、実家は不況のあおりで倒産し、その後絵の道へ進むことになりますランニング

岡田助三郎に指示し、画家三岸好太郎と結婚しますウエディングドレス

好太郎は『既存の団体からの絶縁、新時代の美術の確立』をうたう、

独立美術協会の中心的メンバーでした。

好太郎は創作と協会の仕事で忙しく、出生届を出すのも忘れていました。

それに家族が気付くのは、好太郎が胃潰瘍で31歳で急逝し、死亡届を出した時でした十字架

 

驚いた節子は、その場で好太郎が好きだった色をとり、『黄太郎』という名前にしました。

黄太郎はすでに、4歳になっていました。

1946年、三人の子供を育てながら、女性画家協会を設立します。

黄太郎は高校生の頃から画家を目指し、23歳の時にフランスへ留学フランス

翌年、母を呼びよせて、ヨーロッパ中を巡りました。

1968年、黄太郎は母と共に、フランスのカーニュへ移住。

のちにヴィロンに居を移し、ヨーロッパでの生活は20年以上に及びます。

その間、黄太郎は節子を車にのせて、

フランス各地、スペイン、イタリアなどを巡ります車いい息子さんですねぇ~ハート

節子が風景画家として開花した背景には、黄太郎の献身的な下支えがあったのです。

 

1986年、女性で洋画家初の文化功労章を受章します。

84歳の時に帰国し、94歳で亡くなるまで大磯の自宅兼アトリエで創作を続けました波

 

旦那さんの好太郎さんは、けっして美男子ではないのですが、浮気者で、

結婚してからも、女性をとっかえひっかえしていたそうですぼけー

けれども、好太郎さんの死後、節子さんは好太郎さんの作品を収集し、

好太郎さんの出身である札幌に200点を寄付され、『三岸好太郎美術館』ができました。

昔の女性は強いですね……うーん今話題の樹木希林さんと内田裕也さんみたいですぶー

 

三岸節子の生家跡も、一宮市三岸節子記念美術館となりましたブルー音符

かつて敷地内にあった織物工場を思わせるのこぎり屋根や、

節子の生前から残る土蔵を改修して愛着の品々を並べた土蔵展示室、

風景画のモチーフとなったヴェネチアの運河をイメージした水路、

生前好んだ白い花の咲く木々など、

節子の思い出と深くかかわったデザインとなっています。

アートメイク室にも、シルクスクリーンの作品が展示されています。
花は節子さんの代表的モチーフで、花よりも花らしさを感じさせられます。
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強く、優しく、たくましく……キラキラう~ん、参考になりますね……。
篠田でしたおすましペガサス

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