昨日の日曜日は、横浜公園にお散歩に行ってきました

横浜公園って『どこぞや
』と都内の方は思われるかもしれないので、ご紹介を……。

横浜公園はDNAベイスターズの本拠地の横浜スタジアムがある公園です

関内駅南口改札から徒歩1分で、クリニックからは歩いて11分です

DNAベイスターズの試合がある日は、入場待ちの人が列をなしているのですが、
昨日は高校野球の試合だったようで、行列はできていませんでした

横浜公園は、日本の洋式公園としては山手公園の次に古い公園です。
開港当時、在留外国人の生活環境改善を求めた条約に基づき、
遊郭や沼地の跡地に整備され、1876年に開園されました。
一般にも公開され、外国人(彼)と日本人(我)の双方が利用できたことから、
当時は『彼我(ひが)公園』と言われていました。
1909年に『横浜公園』と改称された頃に、日本庭園が作られ、接収により一度は取り壊されましたが、1978年の横浜スタジアム建設と同時期に再び整備されました。
桜が終わり、今度は芍薬が綺麗に咲いていました

カメは池をスイスイ泳いだり、岩の上で日向ぼっこをしていました
この庭園門は、横浜公園の日本庭園にふさわしい名称として、
平成29年の『第33回全国都市緑化よこはまフェア』を記念し、
彼我の有効と平和が深まるようにと『彼我庭園』に改めて銘板を付したものです。
屋根には横浜発祥のフランス瓦である『ジェラール瓦』の複製を用い、
足元には『煉瓦』を配置しています。
『彼我庭園』の字は大河ドラマ『平清盛 』のタイトル題字でも知られ、5歳まで横浜で育った
金澤翔子さんによるものです

そういえば、当院の第1診察室にも金澤翔子さんの書がございまして、
『個展に行こうと思っていたんですが、こちらで見れて良かったです
』


とおっしゃる患者さんもいらっしゃいました

こちらは、1959年の横浜支庁舎周辺の写真ですが、
この頃は横浜公園もメインは野球場で、今ほど整備されていなかった様子がうかがえます。
関内にも高いビルがまだできていませんね~
1977年、横浜公園 平和野球場の頃……
プロ・アマ、大人・子供を問わない野球の親善交流試合が数多く行われたそうです。
1968年の頃の馬車道周辺。
野村証券はこの頃から角にあったんですね

今はなくなってしまった山一証券があるのが、時代を感じさせます

1972年の開港記念会館。開港記念会館自体は変わっていませんが、
路面電車が

そういえば、市電保存館っていう施設がありまね

市電って深く考えたことなかったんですが、路面電車だったんだ……



1904年から『ちんちん電車』の愛称で、横浜市民の足となっていた市電も
1972年に廃止されました。今は磯子区滝頭の市電保存館に展示されているそうですよ

横浜公園から、横浜の近代史を振り返ってしまいました。
横浜は開港と共に発展し、歴史があってお散歩してるだけでも面白かったです

皆さまもクリニックの行き帰りに、横浜の歴史を感じてみて下さいね

篠田でした
